新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

牧歌的な僕的に思うこと

2020年12月26日
何か書き残しておきたくて、
何か伝えるべきことを書きたくて。

ふと、ブログのことを思い出し
Facebookの記事を転載することにした。
普段の記事は公開範囲を限定しているから
友人・知り合い・仕事仲間しか読まない。

そういった意味では
家族も、息子も、娘も読みはしない。
ここに転載したからと言って
読むとは限らないし、
まあ最悪読まなくても良いかなとも思う。
 
そうだな、俺が死んで数年経って
読まれたら良いのかもしれない。
 
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【俺が勉強が必要だと考えるに至った、俺の個人的な理由(わけ)】

「長谷くんは ボッカテキ だなぁ」
 
「はあ、そうっすか。」
 
もう、20年以上前だ。
当時ついていた監督から言われた。
 
が、ボッカテキが牧歌的であって
当然意味だって分からなかった。
工業高校を出て、映画学校に入り
卒業してまだ10年も経ってなかった。
 
勉強は嫌いだし
本を読むことも嫌い
ただ楽しそうだから選んだ仕事だ。
 
でも、なんだか頭にひっかかってて
すぐに言葉を調べてみた。
 
「意味は
「牧歌が聞こえてくるような素朴でのんびりした様子」で、
時間がゆっくりと流れているような印象を与えます。 」
 
今調べたら、
なんだかのほほんとした意味だけど
当時僕が調べた時は言葉の裏に
 
「ぼーっとしてる」
「ボケっとしてる」
「あほっぽい」
 
って意味が隠れてると感じた。
 
激しく憤った。
 
監督にではなく、
その時に意味が分からなくて
「はあ」なんて言った自分に。
言い返せなかった自分に。
(監督に悪意は無かった)
 
そんなようにして
エピソードごと覚えてしまった言葉が
いくつかある。
悔しくて覚えた言葉。
昨日使った「十把一絡げ」もそう。
 
そんな言葉知らなくても生きてはいけます。
必要無いとは言わないけど
必要を感じない言葉は沢山ある。
 
でも、勉強してこなかったって
こういうことなんだよ。
自分が馬鹿にされたとしても
それすら理解できない、
反論すらできない、
だって分からないから。
 
長い人生だから
《喜怒哀楽》はあって当たり前だ。
それこそが人生の楽しみだし醍醐味だと思う。
 
が、この喜怒哀楽に《悔しい》という文字はない。
 
なんでないか?
必要ないからだよ!
 
悔しくない人生を歩いて欲しい、
そんな親心。