新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

ここ数ヶ月をまとめる。

2023年11月9日
年末になってから書いてもいいんだけど
ある編集案件とある編集案件ともに資料不足により
手が、動きが止まってしまったので
ここ数ヶ月の波状攻撃のような出来事を書いておく。

4月
誕生月である、私も2023年で50歳。
りっぱなおじさんだし、
出るどこ出ればじいさん扱いである。

出るとこ出ると言えばお腹が完全に出ている。
正直、見て見ぬふりならぬ
乗って乗らないふりをしていた体重計に乗った。

いつかいつかとは思っていたけれど
4月上旬の記録では100.2キロ
大台に乗ってしまったのだ。

さすがにヤバいと考えた私は
ウォーキングを始めることにしたんだが
全然痩せないし面倒くさい、
散歩は好きな方だけど
やっぱり仕事優先なので毎日は歩けない。
そこで4月20日で50歳になる私は
この日にチョコザップと契約。
ダイエットを始めることを決意。

5月
ダイエットの決意と同時に
前々から奥さんに言われていた
睡眠時無呼吸症候群の疑いを晴らすべく
睡眠科のあるクリニックへ。

長い問診があり
2週間後に検査器具を付けて
実際にどれくらい無呼吸か?を調べることに。

実は違いましたーっていうのを
少しは期待していたが
結果はまるで逆で「危険レベルの無呼吸症候群です」
保険適用で『シーパップ』という
治療器具を装着することになった。

そこで疑問。
「あの、この器具を付けていたら無呼吸症候群は治るんですか」

「器具を付けている間は改善されます。」

「ずっと付けていたら治るという訳では」

「ありません。無呼吸症候群の原因が無くならなければ、、、」

「原因って?」

かいつまんで書くと原因は肥満。
私の場合、無呼吸症は舌が気道を圧迫して起こる
原因となる舌が気道を圧迫する理由は
『舌が太った』から。

「舌も太るんですよ♪」と笑顔で女医さんが言うもんだから
てっきり楽しい話しかと思ったら違った。

「つまり、舌が痩せないと、肥満が解消されないと
 シーパップは外せないということですか?」

「そうなりますね。」

フリーランスにとって、
ランニングコストの増加は頭の痛い問題だ。

「じゃあ、痩せます。つーか、ジム契約したんで痩せます。」

目標はいったん80キロ。
コロナ前でも十分太っていたが、86キロ。
つまり、約14キロここ数年で太った計算である。

「80キロになったら、再検査をしてみましょう!」

ジムは続けるにしても
シーパップは年内か翌年初くらいまでには辞めたい。

2015年に映画「サンタクロースズ」の舞台挨拶時に
76キロまで体重を落とせたので
最終目標は76キロだ。

まずはチョコザップを週2から3回は必ず行こう。

6月
進行中にVP案件に加えて
1件追加されて自宅で台本を書いている時間が増えた。

その分、チョコザップに行く時間も理由も増えた。

これで健康的な生活が手に入るぞー!

50歳を迎えた2023年は明るい年になるかもと期待していた。

月末に母が倒れて救急車で運ばれたと連絡が入った。

私は母子家庭で一人っ子である。
祖父母は2014年に他界、
母の兄(叔父)も他界しており
私よりも上の世代の親族は母一人である。

原因は不安からくる過呼吸症候群
平たく言うと「老人性うつ病」が原因かもしれないと。

これは親孝行するチャンスだな。
そう考えることにした。

7月
度々というか、毎日のように母が救急車で運ばれる。
その度に連絡がくる。
仕事中でなければ急いで向かうんだが
母のいる横浜の奥地までは都内から約2時間はかかる。

過呼吸症候群だと病院も
軽く検査をするだけで退院となる。
不安が原因なので病院では基本何もできないのだ。

私は「不安」という原因を軽くするために
母の主治医に相談し精神科を紹介してもらい予約をした
月に1回から2回、私の付き添いで病院に通うことに。

少しでも不安が減り、過呼吸が減り、
食欲が回復してくれたら、、、

「また、コロナ前みたく、ウチの家族と飯でも行こうよ」

台本作成中が2案件に加えて
編集案件が入る。
通いで企業に赴くスタイルなので
何かあっても横浜に助けには行けない。

そんなことを言うと
余計に不安にさせるかもしれないが
言わざるを得なかった。

汗をかくと忘れることでできるので
チョコザップにバンバン通う。

8月
母の介護保険適用によるサービスを受けるために
包括支援センターに相談。
やることが山積み、分からないことが山積み。
少しづつ崩し明日につなげようと頑張るが
不安に駆られた母が
私を挫けさせるような言葉を言うのでげんなりする。

「オレはムダなことをやっているの?
 望まれないならやらない方がいいの?」

進めていた台本が決定稿になり
キャスティングやらカット割りやら。

もう一件も台本が固まり
次の段階に進めたいが
スタッフが集まらない。
具体的に言うと助監督が集まらない。
スケジュール延期が頭に浮かぶ。

追加でTVCM案件が入る。

チョコザップは夕方から夜目が混む。
でもその時間しかないから行く。

9月
母の体調は良くなってきているように見える。
食欲もゼロから2くらいまでにはなっている。
食料品をいちいちハンドキャリーせずに
東京の自宅からネットスーパーで注文し
運んでもらう手はずと整えた。

打ち合わせや撮影が頻繁に入るが
横浜にも週に2回は通うことに。

中旬にずっと避けてこられたはずの
新型コロナに感染。
4日間ほど全く動けず。

当然だが横浜にも行けず。

心配した母からLINEが何度か来るが
結果的にシカトしてしまう。
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ずっと動かなかった体重がやっと動き出す。
年齢とともに体重は減りにくくなるのだな。

10月
コロナ明けの体調が回復すると同時に
暗礁に乗り上がりそうだった案件が動く。
演出部・制作部が新規で加わり
ジェットスター並に目まぐるしくなる。
スケジュールが、
下手くそなテトリスのように埋まる。

結婚記念日が10月10日なので
前々から予定していた旅行に妻とでる。

TVCM案件が二転三転して、
違う鞘に収まる。

10月に入り介護保険
ヘルパーさんが母の元に入るようになった。
まずは掃除からやってもらうことに。
母はやんわりと嫌がっている風な感じもあったが
私がこれから忙しくなることと、
未来を考えるとヘルパーさんに頼ることも大事だと
伝えて了承を得る、

得たつもりだった。

少し私が忙しくても
ネットスーパーで食料は届けられるし
キレイ好きな母が快適に過ごせるように
ヘルパーさんも入った。
精神面でも月に2回程度病院にも行く。
薬もだんだん体にあってきた。

私はそう考えていた。

事態は良い方向に動いていると。

だから、結婚記念日に母から電話がきた際
あまり良い態度で話しを聞くことができなかった。

「もう大丈夫では?」
「少しくらいは我慢できるのでは?」

後悔先に立たずとは本当のことだ。

10月18日
ヘルパーさんの本部から電話が入った。
私は、メインロケハンで都内を移動中だった。

「お母様が、、、」

頭が仕事モードだったためか
ひどく冷静だったが、
なかなか考えがまとまらない。

スタッフたちにすぐに行け!と
言われているんだけど
いや、段取りを決めておかないと、、、
きっと、最悪の想像を避けるために、逃げるために
別なことを考えようとしたのかもしれない。

スタッフから怒られるようにして
横浜に向かう。

団地の前にパトカーが止まっていた。

ドアを開けると大勢の警察官たちがいた。
右へ左へドタドタ動き回り写真を撮っていた。

ああ、母はもうこの世にいないんだなと分かった。
夜遅くまで横浜にいた。

久しぶりかもしれない。
母がいた時も、ここまで遅くまでいたことは無い。
疲れたは通り越し、
悲しみも通り越し、
ただただ、明日も仕事をしないとな、
という考えだけが頭をしめていた。

親が居なくなったとしても
大勢のスタッフ、俳優部が関わり
撮影が数週間後に控えた案件を止める訳にはいかない。

私は演出家であり
私の代わりはいない。

母のいない世界を考えないために
目一杯仕事のことを考えた、進めた。

ただ、ふとした拍子に
ただただ突然に

だーっと涙が出る、止まらない。
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2023年10月24日

後悔先に立たずなんて言うけれど
本当は後悔することなんて初めからわかってた。
でも、そうせざるを得なかった。
後悔するだろうなぁと分かった上での判断だった。

だから、ものすっごい後悔してるけど
でも、その判断が出来なかったんだから仕方がない。

その判断の後悔がなくなっとして
その後に後悔しないとも限らない訳で。

誰かが、どこかで後悔するんだ。
タイミングや場所や人が違うだけ。

正解なんてないし、
きっと多分、不正解もない(はず)

明日が過ぎたら
一旦きっぱり、頭のどこかの片隅にやります。
ごめんね。

ありがとう。

さようなら。
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火葬場の都合で
母は25日まで安置されることに。

仕事と葬儀進行で忙殺される日々となった。

27日
VPクランクイン
撮影日は全部で5日間。
長いと言えば長いし短いと言えば短い。

VPとしては長い方で
映画やドラマにしたら短い方かな。

不謹慎なのかな?
撮影はめちゃくちゃ楽しかった。

あまりチョコザップに行けてない
当たり前か。

11月
編集に入る。

同時に母の遺骨や
住んでいた団地の後処理のこと
保険やクレジットカード、
電話などたくさんのことを進めなければならない。

そのほとんどは10月中に連絡をしておいた。

年内に団地を退去し
遺骨も小さくし自宅供養に切り替える。

書類ことや保険申請、
役所へも行かないとならない。

私しかいないのだから
私がやるしかない。

幸い、助監督時代に培ったスキルがあるので
電話連絡や複雑な事務処理なども効率よく進められる。

ただ、ずっと頭から
母の言葉が離れない。

「もう、帰っちゃうの?」

ごめん、かあちゃん
自宅供養にするからさ、
そしたらずっと一緒だし、
似合わないけども
遺骨を入れるネックレスも買ったんだよ。

もう、寂しくないだろ。

そして、体重計に乗った。
90.2キロ

10キロ痩せた。

10キロ泣いたってことにしようか。