新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

細部の血脈。

2月16日
息子の幼稚園で作品展なるものがあった。
子どもたちがこの日のために作ったものや
今まで作ってきたものなどが
教室に飾られているというもの。
満三歳児から年少、年中、年長まで
その成長度合いに応じて
作られた作品の色合いもことなっていて
見ていてなかなか面白かった。

息子は年少さんなので、
高度な技術が必要なものではない。
牛乳パックを使ったしまうま作りや
絵の具で描いた似顔絵、
切り張りでつくったくじゃくなど。
簡単ではあるが
どれも個性が色濃くでるようなものばかり。

毎回、保育士の方が考えるそうだが、
このチョイス次第で逆に保育士の力量までも
短絡にわかってしまうので
気の抜けない作業であろう。
と、思ったのは、
各学年の展示されている部屋は
もちろん別々な訳であるが、
その部屋への行き来は
どの学年であっても自由であり
親としても学年が上がると
どれくらいの物が作れるようになるかと
見て回れる。
で、作品の個別な内容よりも
その学年の企画というか
保育士さんが考えた
子どもに製作させた展示内容によって
その部屋の人気に雲泥、天と地ほどの差が
はっきりと出るのが見ていて怖い。


今年は年中さんの部屋が一番人気であった。


教室を全面使った巨大迷路だったのだ。
ダンボールを使って子どもが一人通れるくらいの
筒を沢山作って右へ左へと行けるようになっており
ゴール?部分には金色の折り紙を貼り付けた
メダルが宝箱に入っている。

この迷路に人気が集中していた。

どの学年の子どもたちも
自分の学年の部屋を見終わったら
すぐに年中さんの部屋に移動してしまう。


ふと見ると
年中さんの部屋以外に人影は無く
保育士さんの『企画力』の差を
まざまざと感じさせられた。
高度な技術が必要な年長さんの
作品だったが『見る・見られる』という視点に
欠けていたせいか…


こうもはっきりとした差を見せつけられると
『企画力』の大事さ、すごさを感じざるを得ない。
企画が技術を凌駕していたのだから。

と、企画力が技術を上回る話しから
映像の話しに持っては行きません。



確かに集客力においては
年中さんが一番人気でしたが、
はやり、自分の子どもが一番であることは
間違いありません。
特に、息子が作った『しまうま』は
特筆のできばえであり
シマウマの縞の部分が毛糸で作られていたのですが、
その縞の細かさは群を抜いており
またタテガミの部分は色画用紙を
ハサミで切り込みをいれた感じだったのですが、
これがまた細かい。

細部に渡って細かいのです。

大雑把にやろうと思えばザクザクと
出来てしまう部分が多いのですが、
その全ての作業が細かい。

『お前は職人か!』

って位、芸当が細かいのです。
思えば自宅でも
何か得たいの知れないものを
ちょくちょく作っていますが、
その集中力と根気は
びっくりするものがありました。

手繰っていけば
僕の祖父は職人です。
毎日のように細かい作業を
モクモクとこなしていました。
自分にも、少しは、
その職人の血というか魂的な部分はありますが、
恐らく、隔世遺伝でしょうか、
息子にこの『職人の血』は
色濃く引き継がれているのかもしれません。
血液型がどうとか言う話しもありますが、
AとかBとかOとかABとか
そんなことは全く信じていません。
むしろ、血統、血脈の方が説得力あります。


保育士さんがこんなことを言っていたそうです。
『今のこの細かさは、一生ものですよ』と。
まさに”三つ子の魂百まで”である。



家では、前にもまして
息子の創作活動をセーブしなくなりそうです。



じゃ!