新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

お疲れ様でした。

2015年7月2日
僕は日本映画学校という専門学校を卒業したのですが

最後の三年目の時、家庭の事情で…
いや、貧乏で学費が払えなくなった。

突然目の前が真っ暗になった。

ちょうど、卒業制作映画の準備真っ最中で
僕の役どころはプロデューサー。
学費が払えないからと言って
プロデューサーが制作現場から離れる訳には…

だから、僕は
学校はドロップアウトして、
外部スタッフとして卒業制作に関わるという判断を下した。
それしか方法は無いと、勝手に思っていた。

でも、その時の担任であった講師であり
映画監督であり映画プロデューサーである武重邦夫先生が
学校を辞めるのだけは、待て、
学費を払えない状況は困るが、すぐに辞めるなんて判断はするな、
と言ってくれた。


僕のことをご存知のかたはお分かりかと思いますが
ポンッと気がついたり、決めてしまったら、
すぐに行動に移します、判断します、確定します。
僕はあと数日もあったら、学校を辞めるつもりでした。

武重先生が止めてなかったら。


その後、なんとか学費を払う目処も立ち
学生として卒業制作を続けることができた訳です。
※卒業式のギリギリ直前にね。あはは!

で、最後の最後の卒業式の日
僕は優秀賞を貰えることになりました。

本当に優秀だったからです(笑)
ですが、色々終わった後聞いた話しでは、
学費を払えずにいた学生に
優秀賞を与えるのはどうなのか?という議論もあったそうです。
まあ、当然でしょうね、その通りですから。
しかし、そこで、そんなことは関係が無い、
優秀な学生に優秀賞を与えないで何が優秀賞なのかと
僕を推薦してくれた先生も武重先生でした。
そう、最後の最後の卒業式の日、
優秀賞を学校長から貰うその時、
学校長が祝辞というか推薦者のコメントを読むのですが
およそ褒めているとは思えないような推薦文を頂きました。
卒業制作用に書いた、貴君のシナリオは
最初の3ページは傑作だったのに、
残りの97ページは駄作だった。
貴君は今村賞を与えても良い逸材であったが、
結局、一度も監督作を作れなかった、
よって、優秀賞止まりである。
もう、嬉しいはずなのに、苦笑いだよね。
そして、卒業をして、
進路の相談をした時に
僕のその後を決める、大きな一言を頂いた。
僕は卒業したら、
監督を目指して助監督から始めます、と言った時だ。
「長谷は制作向きだと思う」
と言われたのだ。
後々になって、武重さんは、そのようなことは言ってない、
そもそも制作部も演出部も境界はなく、
言ってしまえば同じ穴のムジナで一括り、
どっちに向いているかなんて分かる訳がない。
あはは。
僕は、制作向きだと言われて、正直『牙を剥いた』
本気で楯突いてやると思った。
こうなったら絶対に演出部になってやると考えた。
頑なにこだわったし、何があっても踏ん張った。
現場デビュー作である三池崇史監督の「新宿黒社会」では
13日間連続徹夜というハードを通りこした仕事の時も
一度剥きだした牙を引っ込められずに踏ん張った。
初めて映画でチーフ助監督をやった時
嬉しくて嬉しくて、武重さんにメールした。
卒業してから10年以上立っていた。
「どうだ!」という思いだった。
でも、「俺はそんなこと言ってない、考えてない」という
武重さんの一言でオチがついてしまうのだけども。
でも、おかげ様で僕は演出になれたし
そして、2015年冬公開の映画
「サンタクロースズ」の監督をすることが出来た。
武重さんの誕生日に
Facebookでお祝いのメッセージを入れた時、
武重
「有難う。何処かで貴君の新作見せてください!」
長谷
「ありがとうございます。
武重さん流に言うと緩いと思いますがお願いします!」
武重
「おれもヌルイ人間、安心してください(笑)。
とにかく作り続けて、三池の様になったらいいのよ。」


とのお言葉を頂いた。



そして、今日、
武重さんの訃報が届いた。


カンベンしてくださいよ。








武重邦夫先生、
あ、でも、先生って呼ばれるのはお嫌いでしたね。

でも、この日記はあえて先生と書きましたよ。
それは尊敬を込めて伝えたかったからです。

お疲れ様でした。


あっちでも精力的に活動されるのでしょう?
そのうち手伝いに行きますから、
恩返しは、その時にしますのでお願いします。
僕の初監督作品はその時、持参します。


日本映画学校 7期
演出コース TVゼミ(武重クラス)卒業
長谷 巌一郎