新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

仁義の通し方を考える日

9月9日

色々な意味でこの打ち上げの日は

分岐点になる、なるかもしれない日だと感じる。

よく言う話しで、火のないところに煙は立たないとか

火種がくすぶっていて、いつ火事になるか分からなかったとか

つまり、結果には必ず原因があって、

その原因は分かりやすいものもあれば

全く分からないこともあるってことだ。

で、この原因はいたってわかりやすく

容易の想像できた事態だったと思う。

いや、想像しなければならなかったと言うべきで

もっと言うならば、想像出来るのなら

このようなことは回避出来ただろうということだ。

結局、それは回避できなくなりそうで、

火種は予想通り飛び火した。

いやいや、飛び火なんかじゃなく、

あっちでも、こっちでも火種はくすぶっていたのだ。

で、ありがたいことに

僕はその火事のど真ん中にいながらにして

全く火の粉がかからない位置に、

多少はかかったりもするけれど

僕がいる地面が崩れる心配はしなくてもよさそう。

色々と申し訳ない気もするが

結局、自分で自分を守っただけだし

再三再四、警告や注意、

そして、このような結果が訪れるかもしれないという

想像しやすいようなことは話してきた。

しかし、やはり、人は変わらない

そうそう変われるものじゃない。

「特別な決意を持っていなければ

 人は変われるものじゃない、変われないのだ」

何度も決意を促した結果が

これであるならば

それを受けてもらうしかないだろう。

ただ、僕には僕なりの仁義がある。

その仁義の通し方をただひたすらに考えるだけだ。

そんなことを考えた打ち上げの夜。

じゃ。