新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

そして、また、陽は昇り、明日が今日になり、今日は昨日になる。

6月20日
右往左往というよりも、
悲喜こもごもというか、
長いこと台本ばかり書いていたせいか

やっと、というよりも
逆に終わってしまったのか、と
いや、終わって欲しいんだけどね。

ま、そんな訳で、とあるVPのドラマ台本は第7稿だ。
日曜日に書き上げてPにメールを出しておいた。

読んでおいてくれ、と。

で、今日の返事が良い方向で、
一安心というかね。


まあ、つまらない!って言われた事ないし
多分、言ってくれないだろうし。

とはいえ、書いた方といしては
常に、最悪の評価もあり得ると考えていて
その言葉を受ける覚悟もなくはない。


だから、とても安心した。




それにしても日曜日には色々あって
朝方、台本を書いて、
数時間して今度は幼稚園に行った。

だって、今日は父の日だから。


その日に合わせて参観日が設定されており
帰りの会では、
父の日恒例の(もう幼稚園も5年目だからね)

『似顔絵の手渡し』のコーナー。


恥ずかしそうに、もじもじしながら、
それでいてハニカミながらやってくる姿は
とてつもなく愛らしい。




そして、お通夜へ行ってきた。

映画学校時代の担任の先生の。




知り合いのプロデューサーは
そういうもんだよね、と言っていた。

何がそういうものかというと、
昼間は娘の幼稚園で父の日の参観日、
夜はお通夜で故人を偲ぶということだ。


誰にでもやってくる一日は
誰もが同じじゃなくて、

同じ一日は二度となくて、


一日がやってこない人もいるということだ。


卒業以来の連中も多数いて、
17年ぶりの話題で盛り上がった。




大笑いして、あの頃を懐かしんだ。
悲しかったけど、悲しくなくて、
懐かしくて、寂しかった。




僕らは橋本さんが受け持つ初めてのクラスで
僕らはガキだったけど、橋本さんも若かった。
クラスの連中の年齢には幅があったんだけど、
一番離れている高卒組でも12歳しか違わなくて
先生というより、先輩という印象の方が強くて、
橋本さんも生徒というより、
後輩的な感じで接してくれたような記憶がある。

いくつか思い出すと
一つ目はある実習で書いた僕の脚本を
面白いと言ってくれて紹介してくれたこと。
死ぬほど嬉しかったです。

二つ目は200枚シナリオの指導講師を決める時に
僕を名指しで指名してくれた、名のある講師の元に
僕が行きたくないと行った時。

「誰のとこに行きたいんだ?」

「橋本さんです」

ちょっと嬉しそうだったけど、困った感じでしたね。
うろ覚えですけども、色々と話しを回してくれて
希望通りにしてくれました…



1年生から2年生に上がる時にも
わがままを聞いてもらいましたね。

ある講師のクラスにどうしても行きたくなくて
(なんかこういうのばっかりですけど)
橋本さんに直接頼み込んで、
その講師のクラスにならないように…



重鎮ばかりが揃う映画学校の講師陣の中で
もっとも若かったはずの橋本さんが、
こんなワガママな奴のために
色々と奔走してくれたことを考えると
今、思うと土下座して御礼を言いたいほどです。

もう出来ませんが。

2年の担任に引き継ぐメモがあるのです。
1年の担任が2年のゼミ講師に生徒を紹介する資料ね。

これ、生徒が見られる資料ではありませんが、
2年のゼミ講師の千明さんという先生が
ある日僕を呼び出して、こう言ったのです。


「お前は、橋本が言っていた生徒と全然違う、
 どうなってるんだ?もっと本気を出せ!そんなもんなのか?」

僕は、何を言われているのか分からなかった。
新しいクラスに変わって、人付き合いを模索している最中だったし
僕は人間関係を作るのがすごく苦手で遅い。

僕の戸惑いを察知してか千明さんが
橋本先生のメモ、生徒を紹介した、
俺を千明さんに紹介した文面を見させてくれたのだ。



「ブルトーザーのような男です。
 その場の全てを持って行きます」



詳細な文面は当然覚えてないけどね。
ブルトーザーと形容されたことは間違いありません。




え?ちょ、ちょっと橋本さーん!って思ったけど




心底嬉しかったです。
ありがとうございます。






今も僕はブルトーザーだろうかと




通夜の帰り道、一人で歩きながら考えました。





少し丸くなりすぎたかもな…
もっと、ガシガシ進んで行こうぜ、






もう、橋本さんに言葉を貰うことは出来ないので、

この言葉を一生抱いて行きます。


不安になったり、間違ったり、大変だったりした時に
思い出してみようかと思います。







明日からブルトーザーで行きましょう。






さようなら。






じゃ。