新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

ありがとう。

2月21日

多分、今月最後の休息日。

明日から衣裳合わせやら

最後のロケハンを経て、

怒涛の撮影に流れ込み、

その数日後には試写をして

3月半ばには納品というスピード感。

で、都合、演出部から原稿とか

スケジュールの確認メールがやってくる。

夕方前にチーフから

日々スケといって撮影の

一日のスケジュールが送られてきた。

全く確認していないが、

多分大丈夫そうな感じ。

で、サードM久から原稿の確認のメール。

昨日の衣裳打ち合わせ後に

いくつか確認したんだが、

結局は全部ダメで、

原稿を全部ひっこめた形となった。

つまり、提案する形にもなっていないし

提案が提案でなく、相談だったりで、

まるで話しにならないからだった。

チーフのKが

教え直します!と言い

それを聞いてその場を後にした。

で、それを受けた原稿が

夕方から今の今までの深夜になるまで

何通も送られてきている。

1発で決めたいのだろうが、

1発で決められるような手はずが整っていないので、

結局のところ何度かやり取りをすることとなる。

いっそのことメールじゃなくて

電話してくればいいのにと思うが、

面倒なので、こちらからは言わないでおく。

出来るだけ、自分で考えて

自分で答えを見つけないといけない。

これから演出部を目指すのであれば、

これから演出になるのであれば、

自分で考えて自分で結論を出すという

工程は必要不可欠な作業だからだ。

が、こうして書いてみると

自分で考えて自分で答えを出すという作業は

対して難しくないように取られることだろう。

しかし、とはいえ、OKを出す人間には確認を

取る必要があるし、つまりはOKを出させる手段も必要だ。

自分の考えを相手に伝えるという作業が

演出部には必要不可欠だと言っていい。

それは、形を変えればどんな仕事でも同じだろう。

で、簡単なようで簡単でないのは

OKを出す人間の顔色をうかがうことが、

自分で答えを出すという事態と

相反する関係に陥るからだ。

また、完成や完走に関しての思いが自分の中に無ければ

ほぼ確実に演出家を説得して原稿にOKを貰うことは出来ない。

その思いが重要な部分なのである。

楽をしようとした瞬間に

見抜かれる。

僕の立場から見れば、

よく分かる。

手を抜いているか、抜こうとしているか、

台本をキチンと読んでいるか読んでいないか、

思いがあるか無いか、

原稿を見ればよくわかるし、

発言内容からも手にとるようにわかる場合が多い。

もちろん分からん場合もあるけども。

で、M久は完全に空回りしている。

クラッチが入ってないのに

アクセルをベタ踏みしたような。

だから、締切が近いながらもほっておいた。

やらせてみた。

空回りするだけさせてみた。

そんな時代ももう終わりだ。

明日以降は全く悠長なことを言ってられないので

必要であれば、原稿だろうが、なんだろうが、

違う物を提出されたら、

ダメ出しをするだけじゃなくて、

僕が欲しい答えをそのまま伝えて

やってもらう、やらせる、作らせる。

それしか方法が無い。

命令通り動くマシーンになるか、

人としてケンカを売る男になるか、

明日が最終である。

明日は衣装合わせである。

非常に楽しみだ。

今まで、自分ではない監督の衣裳合わせには

何度か参加したことがある。

チーフ助監督として、サード助監督として、

だが、監督として衣裳合わせに出ることは

明日が初めての経験だ。

緊張ではなく、興奮して仕方がない。

早く、行きたい、早く喋りたいのだ。

衣裳についてじゃなくて、

役者と直接役について話しあいたい。

ああ、この最後の休息を

ワクワクした気持ちのままで

眠れる幸せをありがとう。

じゃ。