新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

整理。

9月22日
ここ数日、
色々あったんだけど

でも、書こうに書けなくて
頭の中を整理してから書こうとして、
結局整理できないまま書き始めます。

ご存知の方も多いと思いますが
19日にCMディレクターで映画監督の
市川準さんがお亡くなりになられた。
あまりにも突然のことで、
僕は、ある方からのメールで知らされた。
そして、すぐに、市川さんの弟子とも言える
助監督のK本さんに電話を入れた。

今となっては
どうして電話をしたのかもわからない。
何かを知ろうとしたのかもわからない。
でも、K本さんに電話をしないと駄目だと
すぐに思いついて電話した。
ツーコールほどでK本さんは電話を取った。

僕は、そのK本さんの
落ち込んだ、いや、既に散々泣いたであろう声に
言葉を失ってしまった。
そうだ、何も聞くことなんて無いのだ。
彼を励ます?そんなこと出来るわけがない。
師匠を失った弟子の気持ちなど
慰めることが出来るはずがない。
ほんの数分、言葉を交わしただけで電話を切った。


電話を切ってすぐに市川さんのことを回想した。
僕は、市川さんの助監督に何本か付いたことがある。
CMで市川さんと言えば…ってくらいに
すでに巨匠というか有名な方であったが、
そんなちっぽけな肩書きなんぞ必要の無いほどに
おおらかで、暖かな人間性のある方だった。

僕がもっとも驚いたのは
”任せる”範囲がとてつもなく広いことだった。
常に、月に何本も仕事を抱えていた方だったので、
過密スケジュールも半端じゃなくて、
オーディションや、細かなチェックごとなど、
かなり重要なんじゃ?と思える部分を
惜しげも無く僕の一任してくれた。
僕が”助監督”だからといって
ここまでお任せというのは…
かなり驚いたんだが、
後々になって、K本さんに尋ねたところ、
なるほど、というか、うーんと唸ってしまった。

それは、こういうことらしい。

どれほど、人に任せても
どれほど、任せた人が失敗したとしても、
最終的に演出する自分が挽回する。
いや、どんな状況になったとしても
絶対的な演出力が基盤にあれば、
なんてこたぁないってことだそうだ。

また、市川さんの演出スタイルは
あまり他の方に見られない手法であった。
市川さんの手法は、いわゆる、映画的な
”よーい、スタート! カチン! カット!!!”の
緊張感を出して追い込んで行くものではない。

よーい、スタートの合図があってから、
延々とカット(終了の合図)をかけないのだ。

一度、芝居が終っても、もしくは芝居の途中で、
市川さんはトラメガ片手に
演者たちに声をかけていく。
コンテや予定に全くないセリフや状況を与えていく、
それが、カメラが回っている最中にやる。
通常は事前に打ち合わせをしてからだったり、
一度カットをかけて終了させてからだったりする。

が、市川さんは、途中でやる。
事前に演者との打ち合わせは、
やるにはやるが、ごくわずかだ。

初めて参加した当初は、
よくフィルムを使う監督だなぁと思った。
いくらフィルムがあっても足りないんじゃない?って。
でも、いくつか撮影を進めていくうちに
その手法の効能に気付いた。

リラックス。

とかく撮影現場を殺伐とすることが多いが
市川さんはそれを極端に嫌った。
その雰囲気が空気となって
辺り一面に感染して、
最終的に演者にも監督にも伝わっていく。
そして、それらがフィルムに焼きついていく。
それを嫌っていた。

確かにフィルムは極端の消費するが、
時間や金銭では測ることのできない効能だ。
どんなに撮影前にバカな冗談を言って
場を和ませたりしても、

よーい、スタート!

の掛け声には、
誰しもが緊張する。

感服いたしました。




助監督K本さんとのつながりもあって
何度も何度も、映画への参加を依頼されましたが、
その度ごとにお断りし続けてしまいました。

どうもすみません。



ご冥福をお祈りします。










× × × × ×

すみません。
少し、自分でも整理がつきました。

人間である以上、生きている以上は
必ず死はやってきます。
現状、僕の気持ちとして
死はとても怖い存在であるといえます。

が、本当に怖い死は
自分の死なんかじゃなくて、
自分が大切に思う人の死なんじゃないかなって。
もちろん、自分が痛かったり、辛かったり、
苦しんだりするのは嫌だし怖いんだけど、
それって、”死”が怖いってことじゃない気がする。

でも、それは必ずやってくるだろう。

覚悟とか、そういうことでなくて、
知っておくこと。

それがとても大事だと。





それでは、今日はこの辺で。

じゃ!