新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

どうなることやら。

1月19日
『面白い』とは、

どんなことだろうか?
どんな場合であろうか?
何がどうなれば
面白いと感じるのだろうか、
思うのだろうか?


面白いという言葉の意味の中には
ゲタゲタと笑うようなものもあれば、
感動して心が震えるようなものもあり
また、大きな心の動揺はないが
いいなと感じたりすることが
含まれていると考える。

しかし、面白いと感じるには
人それぞれ、千差万別、十人十色であって
Aさんが面白くても、Bさんは面白くないと
感じる場合だって少なくはない。
いや、それだけ、『面白い』という感情には
多くの感情・印象が含まれていて
言ってしまえば、
大雑把な言葉であるとも言える。




でも、大雑把だからと言って
これは簡単なことではない。
『面白い○○』を作るということは。

しかも、面白ければ良い
っていうもんじゃない問題もある。


例えば、いくら面白くても
作者の意図したメッセージや文言が
受け取る側に理解されていなかったり、
全く印象に残らなかったりすれば、

「面白いけど…」

という、『けど…』と
尾ひれがつけられてしまうだろう。

でも、大前提としては
やはり、面白くなければならないのも事実。
面白くなければ
読んでもくれないし、
見てもくれない、
聞いてもくれない。






とある、企画の仕事を
引き受けることになりそうである。
ある、カメラマンからの紹介筋だ。

「誰か、面白い企画を書ける人知らない?」



『知らないよ!』と
言って欲しかった気持ちもしないでもないが、
そこで、あえて僕の名前を
出してくれたことには感謝。

まだ、どんな概要なのか説明を受ける前ではあるが、
気になるのは『面白い』の言葉である。




そして、多分、きっと、やっぱり、確実に
こんな答えを出すと思われる。



「俺が『面白い』と思うことを書く、
 それしか、書きたくないし、書けない」



結局のところ
企画や脚本、構成を書く際、
カッコつけて書くことなんて出来ないのだ。
書きなぐった文章にしろ、コンテにしろ
着飾った、羊の皮を被った、化粧した、
モノを自分自身で面白いとは
思えるはずがないのだ。

それは自分ではないから。

誰かの意見に左右されたり
文句を言われて主張を曲げたりすれば
その途端に面白くなくなる。
自分で自分が面白くなくなる。

そしたら、その後は操り人形だ。



でも、9回裏での逆転を信じる。



自分が面白いと思うモノ・コトを
改めて考え直す。
そこがスタートでありゴール。
グルグルと回るだけ。





どうなることやら…。





じゃ!