新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

耐える男(1)

1月9日
男は目に涙をいっぱい溜めていた。
何を言われても表情だけで答えた。


言われるがまま、
男は口を大きく開け委ねた。



先日、息子の口の中で
奥さんが虫歯を見つけた。
散々、虫歯の恐ろしさを
言われ続けていた息子は、
その日が世界の終わりかと言わんばかりに
大きく落胆し、
ため息をつき、

「もう、二度と甘いものは食べない!」

と、涙ながらに訴えた。

それから、数日経ち、
息子は歯医者に行った。
初日は、歯医者に対して
恐怖心を持たないようにと
処置を何もしないで、
器具の説明と歯磨きだけして帰ってきた。

「歯医者さんで良い子にしてたから
        消しゴム貰ったんだー!」

誇らしげに息子は
赤い車の消しゴムを掲げて見せた。

「次も良い子にしてたら消しゴム貰えるかな?」

「きっと、貰えるよ」

「やった!」

3日後の1月9日。
自転車で歯医者に向かう道すがらから
息子は一言も言葉を発しなかった。
怖いのか、不安なのか、どうなのか?
何を聞いてもはっきりした答えは無い。
歯医者の入り口に入って順番を待つ。
10分ほど待っていたが、
その間も全く息子は口を開くことは無かった。

毎日、うるさい!と怒鳴っても
喋ることを止めようとしない息子がだ。

こちらが、心配になった。
このままだと、
もしかすると、
診察台に座ってから
パニックになりはしないだろうか?
歯医者のキュイーンと回る器具を見て
発狂しそうに暴れるのではないだろうか?

しかし、今、俺の目の前にいる男は
目に涙こそ溜めているものの、
自分のはちきれそうな不安を
強引に、その小さい体に押し込めて
力強く戦っている。

何を言われても、
何をされても返事こそしない。

でも、口の中に巣食う虫歯を治したい。
その一心で、恐怖と戦っている。


やたらと綺麗な歯科助手のお姉さんが
これでもかと優しく接してくれているが、
その声すら聞こえないのだろう。

「少しでも痛かったら、左手を上げてね」

「…。」

「わかったかな?」

「…。おい、○○くん、わかった?
 痛かったら左手を上げるんだよ、
 そしたらすぐに止めてくれるって」

息子は、小さく頷いた。

これから行う処置を
歯医者さんは3歳の息子に
丁寧に説明してくれる。
どの器具で、どんなことをするのか、
器具の尖った先端、
キュイーンと回るドリル。

俺は、説明した方が
逆に怖いんじゃないかとも思ったが、
その説明に息子はいちいち小さく頷いた。

目が訴えている。



『早くやってくれ。』



器具が口の中に入れられた。
息子は微動だにしない。
俺が座っている角度からは
その処置が良く見えないから、
ずっと、息子の左手を見ていた。

少しでも動いたら言ってやろう。
先生が気付く前に気付いてやって
すぐにその痛みから助けてやろう。


が、その左手は全く動かなかった。
歯医者の影から見える息子の顔。
見ているこっちが、涙目になってくる。


「はい、終ったよー!よくがんばったね!」

「もう、虫歯、治った?」

「もう治ったよ、よかったね!」


虫歯の恐怖から一気に開放された息子。
今度は安堵からなのか、
自宅に帰るまで全く喋らない。



その日の夜。
お風呂で奥さんが歯医者のことを聞いた。


「本当はね、ちょっと痛かった。
 でも、我慢した。ボク、がんばって我慢した」


見直したぜ、息子よ。



じゃ!