新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

運動会近し

10月4日
幼稚園の運動会が近い。
息子は毎日運動会の練習で大変らしい。
とはいえ、お遊戯の最中に
”○○レンジャー!とーぅ!”と
全く違うポーズをしているらしく
何がどう大変なのだろうか?

先日、息子が持ってきた運動会のしおりと
お手伝いに参加する父親用の案内を
パラパラとめくってみるが、
まるで現実味が無い。
グランドのラインを引いたり消したり、
そして水を撒いたりするのだが…
頂いた案内だけでは
事の中心が見えてこず、
段取りや行動にもの凄く不安を覚える。
いや、語弊があるかもしれないが
頂いた案内は親切丁寧であり
競技の内容とそれに必要な作業や人数
担当する方々の名前など
必要な情報全てが載っていると言えるほど
びっしりと書き込まれている。
何もここまでしなくても…ってくらいだ。

書いた方、明日から
香盤書きませんか?ってくらい上手だ。

では、何が不安かというと
申し訳ない。
誰かの指示、指導の元に
入るということ事態が不安なのだ。
とはいえ、いきなり運動会を
仕切る訳にもいかない。
だから、誰かの元で指令を
待つ状態にならなければならない。

この状態が不安なのです。

流れを作る方でなく
流れに乗る方をするなんて
仕事をする上で考えたことがない。
なら、仕事はないと考えようか?

そうすると、僕は、でくの坊に近い。

少しも動かないし働かない。
話しを聞いてないし、話さない。
生ける屍のようになってしまう。

自分に主役は息子たち子供なんだからと
言い聞かせてみる。
誰も、お前なんか見てないからと。
そう、誰も見ていない。
なら、見ていないならテキトーでいいのか?
いいや違う。


よく、仕事で
誰も見ていないと思っても
一生懸命やれと言われる。
その努力はきっと誰かが見てくれると。
逆に、1から10まで力を入れてやると
どこかで燃料が切れて失速する。
そうならないために、
力を抜くことも大切だとも言う。

微妙な矛盾。


どんな盾をも貫くことが出来る矛。
どんな矛をも通すことが無い盾。
その二つが激突するとどうなるか?

実際は、そんなものは無いという
整合性が取れないことのたとえ話であるが
もし、本当にその矛と盾があったならば
その激突には、相当な破壊力が
生まれると考えられる。
宇宙を生み出したとされる
ビックバンに相当するような。

この初めから在りもしないと
決め付けられた矛と盾。

在ると決め付けてから考えるのは
一興ではないだろうか。


そして、仕事でありながらプライベートを保つ
プライベートでありながら
仕事で見せるような迅速な行動を見せる。
そこに矛盾はない。
そのどちらも、共存し共闘しうる。


結局、楽しきゃいいのだ。


答えは”楽しめ”である。


じゃ!