新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

早く寝れば早朝

12月4日

3日のその日のうちに台本に修正が入り
その日のうちに直してしまおうかとも思ったが
なんとなく、そんな気になれず
よくわからない文章を闇雲に書いてしまう。
気がつけばかなりの分量を書いていて
内容はさておき、自分の変化に驚いた。

なんだか、目的のないというか
指示される充てのない文章を書くってのは
なかなか健康に良いというか
必要なことなんじゃないかと。

で、お昼になる前までにと自宅を出て
いつもの喫茶店に行く。
さすがに、これだけ毎度行っていると
なーんとなく覚えられているようで
オレが顔を出すと
”いらっしゃいませ”といいながら
電源を使える席をチラ見する。
基本的にその席が空いてなければ
入店することはない。
とはいえ仕事はしなとならないので
一通りプラプラしてから舞い戻るか
別の喫茶店でバッテリーがもつまで仕事をする。

で、今日はいつもの席が空いていた。

どっかりと椅子に腰かけて
テーブルを手前に引き
タバコをくわえて火をつける。
いつものパターンが完成したら
後は周りから音楽や雑音が入らなくなる状態に突入する。


思ったほど多くなかった修正箇所を
今一度確認する。
言われてほいほい修正すると
後で収集がつかなくなるので
修正意図を探りながら考える。

そう、言われるがままに直していると
撮影現場や打ち合わせの場で困ったことになる。
先方にとっては誰が修正指示を出したなんか関係なく
作成した本人が作成したわけだから・・・
まあ、打ち合わせしてて
ここはどうなるんですか?なんて聞かれて
知りません、○○さんがこうしろって言われたので
なんてことありえない。
どれだけ命令的な指示であっても
それだけ的を得ていない指示でも
(親分の指示は非常に的を得ているので楽なんですが)
その修正意図や誰に向けて・誰を気にした修正かを
推し量らないとならない。
そして、自分で飲み込んでから吐き出して・・・



僕は頑固そうで、実は全く頑固でないので
案外すんなりと修正を受け止めることができる。
と思っている。

いや、これはもしかすると、
師匠の影響かもしれないけどね。


僕の師匠は素晴らしい方で
毎度ご自宅を訪ねると小遣いをくれたり・・・
いや、小遣いをくれるから素晴らしいんじゃないが、
色々なことを教わった。
今でも役に立っているのが
お客さんとの打ち合わせ時の対応。
師匠は基本的に何も口を挟まない。
お客さんが何をやりたいのか
分からないなら分からない部分はどこか
相当の時間をかけてじっくりと聞き出していく。
多少、無謀な意見でも無茶な発案でも
腰を砕くことはしない。
全て受け入れる姿勢が師匠にはある。
受け入れて、飲み込んで、吐き出す。
当初は、言うがままじゃないかと
師匠に愚痴をこぼしたこともあったが
うん百、うん千万というお金を出しているお客さんが
やりたいことを言うのは当たり前で
それを飲み込むのも当たり前だと。
それをどう吐き出すのがこちらの仕事でもあり
予算や時間に当てはめて吐き出すから
プロなんだと。
今でこそ、その方法が一番難しい方法だと分かるが
その時はあまり良い方法だとは思わなかった。

今現在、師匠と似たような仕事をし
その一番難しい方法の壁にぶちあたっている。
考え方は理解もしているし、
方法論もわかっているつもりだ。
しかし、やはり、色々なことを考えてしまい
自己否定や客先否定を思いついてしまう。

師匠もそうだったのかもしれないが
それ相応のものを吐き出すには
それ相応のものを飲み込まないとならないのだ。

越えるには同じ方法ではダメなんだが
その同じ方法をも飲み込んでからでないと
越えるだけの方法を吐き出せないだろう。


今、大口を開けて飲み込んでやろうと。


師匠に脚本を読んでもらう約束をしたっきり
すでに10年近くの年月が経ってしまった。
早く約束を達成したい気持ちと
まだまだ読ませるだけの力量じゃないという現実と
自分の中で持ち上げ過ぎかもしれない程
師匠を神格化してしまったことで
なかなか約束が果たせない。

今回のものが、そんなものになればと。

でも、守秘義務があるから
できないんだけど。



と、長々と書いているが
すでに脚本直しは終了している。
親分の意見がどう出るかはわからないが
自分の中では割りと良い感じじゃないかと。
パッと打ち合わせ最中に思いついたものであるが
2日経っても消えなかったので
書き始めた内容なのだ。
この思いついた内容をメモしないで
数日の間、頭に残っているかいないかで
僕は進行を決める。
スケジュールも同じ方法で決める。
一度頭に残った、こびりついた内容は
そうそう消えることはなく
逆にひっくり返されると大変なことになるのだが
GOサインだとほぼ台本を必要とせずに
撮影できるので大変に楽チン。

すんなりと通ってくれたまえ・・・




で、明けて12月5日になっているわけだが
今日は、奥さんが子供を連れて
友人のお宅へ遊びに行くというので
僕はついてはもちろん行かず
自宅で仕事をする。
ちょうど、見なければならないVHSが
20時間ほどあるので・・・

文句ではないが
結婚して、子供ができて、
尚且つ、子供がTVを見るようになってから
親がTVを占有する時間が減ってきた。
子供が寝てからしか本当の意味で占有はできない。
おもちゃで遊んでいるなぁと
ビデオを使用しようと思って
VHSを出せば

「何見るの?パパ、何見るの?」

「お仕事のビデオだよ」

「えー、トーマスがいいよぉ」

「トーマスじゃないよ」

「じゃあ、”しまじろう”?
   ○○くん、しまじろう見る!」

「いやいや、パパが見るんだよ。順番だよ」

「やだ!○○くん、しまじろうがいい!」

そんな論争をやっている暇があるのなら
ビデオを諦めてPCで仕事をした方がいい。
だから、ビデオは基本深夜に見るのだが
深夜というのは、自分にとって仕事に適した時間であり
台本の作成や考えごと、PC作業にもってこいなのである。
つまり、深夜はそちらに時間を取られ、
結果、見なければならないビデオは
延々20時間溜まったままである。
すでに、数日後には20時間分の映像を
30分にまとめる編集作業がある。
明日中に20時間を早送りでもなんでも使って
早々に見ておかないとならない。

明日しかないのだ。

本当言うとパパだって
しまじろうのビデオが良いさ

リトミック体操踊りたいさ。


じゃ!