新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

雨が止んだら

5月20日

先日、仕事を2本同時受けしたことを日記に書いた。

今日、片一方から撮影延期の連絡があった。

約1ヶ月の延期

ちょっとやばい。

つーか、かなりやばい状況だ。

今の僕は完全に『波』に乗れてない。

サーフィンはやらないからわからないけど

『波』は見えてるのに、

僕のとこに『波』は来ているのに、

乗れないのだ。

仕事の『波』に。

ことごとく失敗しているか

乗った瞬間にドボンしている。

これは非常にやばい

昨年は1月に乗った『波』

12月まで乗りっぱなしだった

今年は相当辛い。

今だ『波』に乗れず。

現状話しが来ている『映画』が

ちゃんと仕事として成り立つよう祈るのみだ。

ただ、撮影が延びたCMの

拘束期間がそれに伴い長くなるということだったら

話しは別になってくるのだが。。。

結局のところ

仕事の数よりも拘束期間

殆ど全て金額の上下に比例してくる。

映画は1本いくらでという話が多いが

CMの場合は日当計算が多い。

つまり、拘束期間長ければ長いほど良い仕事となる。

あー、一体全体どうなってしまうのだろうか?

まだ、半月仕事が無いだけだが

ものすごく不安である。

まあ、これがフリーランスの宿命

耐えるしかない。

「いつまで耐えるの?」

と遠くから聞こえてきそうだがな。

さ、不安な話しは置いておいて

『波』の話しをしよう。

なんでもそうだが

物事や出来事には『波』がある。

『二度あることは三度ある』のようなもんで

仕事の『波』は来るときには立て続けにくるもんだ。

しかし、『波』というと『偶然』『突発』などの

言葉が連想されそうだが

僕はこう考える。

『偶然は細かい必然の結果。偶然は気づかなかった必然の結果』と。

どういうことかと言うと

例えばフラリと散歩に出て行った先で

ばったりと古い友人に会う。

『わー偶然だなぁ』なんてお互いに言い合う。

よくある偶然。

これは単純に予期していなかった必然じゃないかと思う訳だ。

『フラリと散歩に出て』

散歩に出たくなるような陽気だったり

家の中にいるとむしゃくしゃするとか

体を動かしたかったという

脳からの信号

理由には疲れていたからとか様々あるだろう。

その様々な理由の必然で外に出て

相手方の様々な理由の必然により『ばったり出会う』

自分が意識していない『細かい必然』の重なりは

『偶然』という言葉に変えられて表現される。

『波』というのもこの『偶然』と同じようなもので

僕の知らない『必然』が山のように考えられる。

業界全体に仕事量が減っている時期であるとか

仕事はあるが助監督を必要としない

小さな仕事ばりが集中しているとか。

全ての物事や出来事には理由という必然があり

結果が『偶然』とか『必然』とかと表現される。

偶然と表現されるには必然が見えない状況であったり

相手側の必然であったりすれば良い。

そして、素晴らしい結果をもたらす『偶然』

『奇跡』と表現されることがある。

と、考える。

『波』も同じようなものだ。

言葉が違うだけで意味や内容に大きな違いはない。

何が言いたいかというと

仕事が薄いのは『必然』がないからだと思うわけさ。

『偶然』電話が来るなんてことは無いわけだから。

と、いうことはだよ。

必然を作ればいいってことになる

つまり、『営業』に行こう!いや『行け!』ってことだね。

行ってすぐに仕事になるわけじゃないと思うけど

そういう行動は結果『偶然』の電話を生むと思うからさ。

さあ、営業に出ようか!

街には『予期しない必然・予期できない必然』がいっぱいあるのさ!

雨が止んだらね