初めて放り込まれた現場は
地獄だった。
13日間不眠不休の撮影。
朝の4時くらいに撮影が終わっても
7時には出発するという
日付の感覚を奪うスケジュール。
「映画制作って大変なんですね」
僕と同期で現場に参加した一人は
7日目に逃げた。
もう一人は10日目に体に異変が起きた。
僕は4日目に寝坊して遅刻した。
その映画は今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの
映画監督:三池祟史さんの「新宿黒社会」。
もう、僕の人生のこれからが
黒社会ですよ!
その後、Vシネや映画を数本助監督した。
「シャブ極道」
「ひみつの花園」
「七曲署捜査一係」など
この世界は情報が筒抜けになるらしく
がんばっていると、
すぐに全く知らない人から電話がくるようになる。
<当時は携帯電話は普及してなくて
ポケベルでした>
「○○さんからの紹介なんだけど。。。」
そうやって、仕事が増えていくらしい。
不思議な世界だ。
普通、初めに映画系に付いたから
映画関係ばかりの仕事になるはずなのだが
僕の場合は違った。
確かに映画関係から電話がちょくちょく来たが
他にもVP系やCM系からお呼びがかかったのである。
これは僕の友人がCM系に進んだおかげでもある。
結果、映像業界で多分
一番お金があるCM業界を主体で
仕事をするという、とても、とても、
とてつもなくラッキーな状況が
僕に訪れたのである。
しかも、CMに助監督は
基本的に付かないことをいいことに
現場でやりたい放題させてもらってます。。。
はははは
とはいえ、業界は狭く情報は早いので
昨年、映画業界に逆輸入されたりもした。
辛い辛い下っ端のサード助監督だった僕は
CMやVPで好き勝手に覚えた自己流の現場術で
映画業界にセカンド助監督を飛ばして
『チーフ助監督』として戻ったのです。
有り得ない、全く有り得ない出世街道。
ここまではなんとなくサクセスな感じ…
さー、(映画)監督になる日はいつの日か?
このブログで昇進日記が書けるのか?
こう御期待!
2007年4月1日一部追記。