新・カチンコ日記2

根無し草男の映像日記

本家・カチンコ日記 第308回~第326回

先日惜しまれつつ閉鎖してしまった。演劇ブック主催サイトアータウン内の映像サイト『モータウン』にて連載されていた日記「長谷巌一郎のカチンコ日記=本家カチンコ日記」を転載しています。各日記には楽しい写真が載っていましたがサーバー容量の関係上割愛させていただきました。

では、どーぞ!

※注:この日記は毎日寝る前に書いた自筆の日記を
PCにて再構成したものです。
そのため、多少の尾ひれや背ひれの脚色が加わってます。

※注2:LOVE ASIAのホームページには
この日記より詳しく書いたバージョンがあります。
ここで書けなかったこと、載せられなかった写真がてんこ盛りです。

また、そのオフィシャルHP専用日記は・・・ふふふ

第308回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(1)
2003年11月06日

「赤道直下の空の下」

JAL715便成田→ジャカルタ11:05発

初の海外ロケ。
俺は照明機材の積み込みの手伝いのため成田ではなく、
狛江に向かっていた。

前日まで俺はショートフィルムの撮影に行っていて
疲れは相当なものだった。
が、そんなことは言ってらんない。

監督の瀬木さんから宿題で『パリ・テキサス』を見て
AM5:30にタクシーに飛び乗った。
タクシーで飛ばし狛江に着いたのは6:10。
待ち合わせは6:30。
もちろん誰もいなかった。
外は雨。
縁起が悪いので傘を持っていなかった俺を生ぬるい雨が濡らした。
幸先は良いのか悪いのか。。。

日本から約8時間。
暑い!蒸し暑い!

俺はインドネシアの首都ジャカルタに降り立った。

個人でバリ島には何度か行った俺だが
やはり日本と比べて格段に暑い。
この暑さの中で仕事を毎日するかと思うと
やる気もなにもすっとんでしまう。
しかも、明日は6時出発だというし。

俺の初海外ロケは一体全体どうなってしまうのか?

あー蒸し暑い。
蒸し暑いといえば虫だ。
ここはインドネシア
虫の天下。
ハエがぶんぶん飛んでいるよ。

「あ!俺の飯に飛んでくるな!」

蒸し暑さより俺の大嫌いな虫の多さの方が大問題だな。

▼今日の宿泊地
ジャワ島 ジャカルタ 「アルカディアホテル」
日本で言うビジネスホテルの装い
エレベーターが2基あり中の照明がグリーンとブルーで変な感じ。

▼今日のインドネシア語
「テリマカシー」 ”ありがとう”

第309回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(2)
2003年11月07日

「撮影用語を記憶せよ」

しまった!
寝過ごした!!
5:30に俳優部の西島さんに衣装を届けなければならんのに
おきたらもうすでに5:50じゃん!
しかも、監督と相部屋なので監督ごと遅刻だ!

ありえん、まったくあえりえん!

長谷巌一郎、一生の不覚!
朝食も食わずにレッツゴーだ!

 * * *

曇天とはいえ暑い。
ドラマといえども、今回の作品はドキュメント要素が強いため
いきなり「ここでshoot!」が起こりうる。
今日もバスの車窓から見えた朝市を見てた監督が

「ここ!ここ!ここで撮りたい!」
「うーい!」

初日でまだスタッフ間の調和も取れていないうちからの
抜き打ちshoot!
抜き打ちテストの数倍大変。
そして、ここはインドネシア
どこで撮影してもインドネシア

あー暑い。

 * * *

高速バス乗り場。
ここから、インドネシアの国民的俳優と言われている
”ダムシット”さんが参加。
どのくらい国民的俳優かというと
知らない人がいない位の有名さ加減。

だから、現れたそばから黒山の人だかりができてしまう。
もう、本当にあっという間である。
人影まばらだったバスターミナルがほんの五分で
4、500人くらい集まってくのだ。

「どっから湧いてくるんだ あんたたちは!」
「つーか、仕事は?」

なんて日本語はもちろん通じない。
HDのモニターの周りは人で埋め尽くされ
監督とVEの徳さんがどこにいるのかも分からない。

うううう。

そんな黒山の中から監督の声がする。

「沢山人がいてもいいから、カメラを見ないよーにして」
「え?」
「ほら、皆見てるでしょ、カメラを。あれ、駄目だから」
「え?言うの?何語で?」

ジャンガン リハット カメラ って言って」
「じゃ? ジャンガン?」
「そう。 じゃ、まわすよ! はい、よーい!」

「え、ちょ、ちょ、ちょ、わーーー! ジャンガン リハット カメラ!」

さあ、皆さんご一緒に!

ジャンガン リハット カメラ」
ジャンガン、リハット、カメラ!」

これでもうインドネシア人はカメラを見ませんよ。

▼今日の宿泊地
ジャワ島 ジャカルタ 「アルカディアホテル」
ここの朝食はうまいのか?

▼今日のインドネシア語
ジャンガン リハット カメラ」

第310回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(3)
2003年11月08日

「激痛との闘い」

不覚。あまりにも不覚。

俺は撮影2日目にして激しい腹痛に襲われる。
もう、じっとしていられないくらいに痛い。
5分刻みで俺のストマックをノックアウトする。

こ、これがインドネシアか。
。。
午前中は”ん?なんか調子が悪いかな?”ぐらいだったのだが
昼が近くなってから猛烈に痛くなってきた。
それは、胃や腸の中にうにがいるような感じ?
いや、腸の中で長ドス持ったヤクザが仁義なき戦いをしてる感じ?
うーん、なんと言っても伝わらないだろうな。

と、そんな訳で俺は頻繁にトイレに行きたくなる。

あ、ここから汚い話なのでお食事中の方などは読まないでください。

いわゆるロードムービーだから、撮影は移動が多い。
一度、トイレタイムを逃すと次にいつ行けるか分からない。
ガマンにガマンを重ねた俺だったがついにトイレに駆け込んだ。
インドネシアの一般的な家の中で。
家庭のトイレだから清潔で割りとしやすい環境だと思ってました。

「うわっ!」

僕が間違ってました。
すいません。ごめんなさい。
もう、何度でも謝るからなんとかして!

まず、トイレのドアを開けて最初に目に付いたのは
水がたぷたぷに入れられたドラム缶。
なんだ?この水は?
と、左に視線を向けるとシャワーがある。
あーなるほど、ユニットバスなんだな。
トイレとシャワーが一緒になっていて。うんうん。

「は?」

俺は視線を右にしてたじろいだ。
ものすごくたじろいだ。
そこにあったのは洋式便器。
普通の洋式便器。
が、便座がない!
便座は?便座くんはおでかけ?
そうこうしてても、俺の腹ではヤクザが暴れまわっている。

「し、仕方ない」

俺は中腰で便器の上に立った。

「あ、紙は?紙ねーじゃん! ん?水洗レバーもないじゃん!」

あ、そーか、このドラム缶の水で流すのか。
なーるほど。なるほど。
で、紙は?

「紙 プリーズ!」

英語と日本語が混じった言葉なんて通じる訳がない。
俺は、下半身裸の上に拭けずに半立ち状態で
汗をだくだく流していた。

「長谷さーん、水で洗うんですよーインドネシアではー」

遠くからコーディネーターの声がする。

「あ、洗う?」「うわーーーーーーーーー!この水でか!」
「桶で水汲んでか!」
「あちゃーーーーー!」

こんな状態など想定して作られていない俺の体は硬く
なかなかうまくいかない。
ゆっくりと、桶で目の前のドラム缶から水を汲み
ケツの下に持っていく。。。
左手の野郎はその桶の水をすくい。。。

「アーーーーーーーーーーーーーーーー!」

もう、勘弁してください!

左手が不浄な手であるという話は誠にうなずける話である。

▼今日の宿泊地
ジャワ島 ジャカルタ 「アルカディアホテル」

▼今日のインドネシア語
「スディキット ゲセル」 ”ちょっとずれて”

第311回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(4)
2003年11月09日

「さようなら、ジャカルタ。こんにちは、バリ島

今日は移動日。
飛行機は午後からのため、午前中は自由行動となった。

俺はもちろん布団の中だ。

昨日からの腹痛は一日たった今も俺を苦しめている。
でも、だいぶ良くなりました。
インドネシアの強力下痢止め薬のおかげで。
なんと、話によるとこの下痢止めは昔ベトナム戦争時代に開発されたらく
派兵されたアメリカ人たちの下痢をなんとかしよーと莫大な資金をかけたらしい。
そんな、一撃必殺な薬のために一日に最高で2錠までしか飲んではいけないそうだ。

恐ろしいね。

でも、飲んだ。
そりゃ、飲むさ。

もう、撮影中にあんなことになるのは嫌だもの。

 * * *

と、重苦しい腹を抱えてバリ島
我々スタッフは監督瀬木さんの所有するウブドのコテージへ。
ここが、すごい。
風光明媚というか、景色がいいというか、、、
隠れ家的コテージと監督本人が言っていたが、おっしゃるとおりでげす。

到着したのは夜だったので昼の感じは分からないがきっといいに違いない。

と、照明部平本さんが

「わー! 月の光で影ができてる!」

と感動していた。
そう。コテージの周りにはなんの電灯もないのに
明るいんだよね。
しかも、影ができるくらいに明るい。
こんなに月が明るいなんて初めて知った。

東京の空って。。。

部屋に着くと外からは虫の声やら蛙の声やら聞こえてくる。
虫は大嫌いだが虫の声は大丈夫だ。
あー、なんか田舎に来たって感じ。

ただ、ただ、難なのは僕の泊まる部屋だけが
ボイラー故障でシャワーが水なところだ。
すげく、寒い。

さて、今日の夕食より紅一点の板谷さんも加わり
撮影もいよいよ本格的になっていく。
俺も、衣装管理や小道具管理、香盤の進捗などテンパリ度がアップしてきた。
よーし、やるぞー
下痢なんてしてる場合じゃないぜ!
強力下痢止め薬を口に放り込め!

今日の宿泊地
バリ島 ウブド 「ダルマサッティー バンガローズ」
蛍も飛び交う素敵なコテージです。

今日のインドネシア語
「スラマ マラーム」 ”おやすみ”

第312回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(5)
2003年11月10日

「カレー事件と手動コピー」

なにー!
我々撮影スタッフは午前中、海岸沿いでの撮影を終え昼食を待っていた。
大体、そこのロケ地まで行くのにウブドから
片道2時間かかっている。
へとへとな上に腹が減っている。

俺の頭の中では、手早く食事をして次の現場へ移動したかった。
また、片道2時間かかるしね。
だから、ミーゴレンやナシゴーレンなど炒め物を中心に
注文していた。早そうだから。
CAの梅丸君もそう考えてだと思うが
”チキンカレー”を注文していた。

カレーなんて一番早くできそうじゃん?

ここは南国のバリ。
そんな通常の固定概念なんて通用しません。
もう、1時間待ってます。
チキンカレーを。

全員が食べ終わってもまだ出てこない。
店員は急ぐ気配も見せない。
つーか、気にしてない。
これは、忘れているんじゃ?
いや、カレー粉を作ってるんじゃ?
いや、米を研いでいるんじゃ?
様々な憶測が飛ぶ中、夢にまでみたチキンカレーは
きっかり1時間後に出てきた。
昼食に2時間かかってしまった。。。

梅丸君は5分でカレーを食べ終わると
「うまかったっす」だって

怒ろうよ!
もっと激しく!
机をひっくり返そうよ!

もう、使った時間は帰らない。

と、まあ、予定より1時間押しでバリ島の繁華街クタで
飛び交う車とバイクの間を撮影し
裏道に沢山立つコテージやらを撮影。
が、残を出す。
このスケジュールでは残ははまらない。
予備日にはめるしか残す手はない。

そんなこんなで、俺は南国バリ島で香盤を作成だ。
まさか、バリで手書き香盤を作るとは思ってもみなかったよ。
しかも、ここはバリなんだからコピー機なんて代物は
すぐに見つからないのだよ。

えーい!手動コピーだ!
書き上げた香盤を一枚一枚また書いていく。
手が、手が、痛っ、痛っ、
ううう
全部で15枚か。。。

コピー機を探しにいったコーディネーターのカデさんは
戻ってこない。
俺の手動コピーも5枚を超えた。
あと10枚。

「ハシェシャーン!」
「ん? カデか?」

「おお!その手に光る紙束は!」
「フォトコピー OKね」

「最高だぜ!カデさん!」

コピー機があるだけでこんなに幸せだなんて。

▼今日の宿泊地
バリ島 ウブド 「ダルマサッティー バンガローズ」
朝食に出たバナナジャッフルが最高です。

▼今日のインドネシア語
「トロン テナーン」 ”静かにしてください”

第313回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(6)
2003年11月11日

「リングに賭けろ!」

うおー!
今日は作品中でもメインイベントな感の強いシークエンスの
オダラン』というバリヒンドゥー教の祭りに行く
祭りと言っても日本のいわゆる『お祭り』とは違って
もっと宗教的な(日本の祭りも本来は宗教的だが)儀式である。

その寺はバリ島の最西端の方にあった。
寺は海に面していて泳ぐには荒々しいが
なかなかのロケーションに厳かに建築さていた。
撮影で訪れた際は5年に一度の大きな祭りであったためか
お寺はきらびやかに装飾され昼間から沢山の人が訪れていた。

人々はきちんと正装して、皆手にお供え物を持ち
祭られている海の神に祈りをささげている。
我々スタッフも全員正装し撮影に挑む。

何を着ても似合う俺はこの正装も見事に似合った。
バリ人寸前とまで言わしめた俺は
そのまま撮影中に映りこんでいるほどだ。

まあ、いい。

そして、その後我々は『タジェン』と呼ばれる『闘鶏』に参加する。
この闘鶏は文字通り鶏を闘わせるもので、
その勝敗には金が賭けられている。
だから、もう、皆真剣にその勝敗を見守っている。
が、鶏たちは多分もっと真剣にならざるを得ない。
それは、負けたら即殺されるからだ。
この『即』というのは本当に即で
負けたなと思ったら 即 リングの隅で
足をばっさりされて 首もばっさりされる。
もう、血だらけ。
んで、鶏はそのまま綺麗にさばかれて焼き鳥に。
これがうまい!(いや、食ってないけど)
この血みどろの戦いには
さすがの板谷さんも顔を背けていた。

俺は全然平気。
血みどろ映像は多分放送されないと思うけど
『あーこのあと血みどろなんだな』と
思ってください。

そんなバリへ皆行こう!

▼今日の宿泊地
バリ島 ウブド 「ダルマサッティー バンガローズ」
ヨーロッパ人ばかりが宿泊されているそうです。
でも、日本語もできる人がいるそうです。

▼今日のインドネシア語
「スカリラギ!」 ”もう一度!”

第314回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(7)
2003年11月12日

「リゾート ラブ」

プール付きじゃんか!
俺はビビッていた。

そこは大型バスでは絶対に無理だろうという
狭い道を行った先にあった。
無理なはずなのに運転手のスキンヘッドはずんずん進む。
行ったら最後戻れないじゃないの?
でも、日本語はまるで通じない。

しかし、着いた先にはパラダイスが待っていた。
さすが、リゾート!
ここは、バリ島の東の端に位置するパダンバイ。
まだ、日本人は少なくオフシーズンでもあったから貸しきり状態!
撮影も珍しく昼間に終わったので
我々はまだ日のある内にホテルに到着したのである。
女優板谷さん、我先にとプールへ走っている。

「わー!」
とか言ってるし。。。

まさか、仕事でこんなリゾートホテルに泊まることができるなんて!
もう海外ロケ最高!
目の前は海だし、雰囲気はいいし!バリ最高!

撮影っていうのは、良くも悪くも普通では行けないとこにいけるから。
今日も昼食に行ったのはバリ人達しか行かない
日本で言えば下町の定食屋みたいなところ。
ここの飯がまたすげーうまい。
また、すげーからい。
しかも、すげー安いのよ。
一人頭100円いかないんだから。

しかし、もっとびびるのは
定食屋内のハエ。
すげーんだこれが。
ブンブン、ブンブンと、何十匹どころか何百匹もいるのさ。
だって、犬は机の下でごろごろしてるんだもん。

でも、うまいよ。

▼今日の宿泊地
バリ島 チャンディダサ 「プリ バグス チャンディダサ」
雰囲気最高!

▼今日のインドネシア語
「ティダ アパアパ」 ”問題なし <ノープロブレム>”

第315回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(8)
2003年11月13日

「ベイベー逃げるんだ」

素晴らしい!
夕日が美しすぎる。

我々スタッフはバリ島からロンボク島へのフェリー上にいた。
普通の旅行ではだいたい飛行機でロンボクに渡るのだが
物語の設定上それは許されない。
主人公達はフェリーでロンボクに渡るのだ。
つまり、フェリー上でも撮影はする。

バリ島からロンボク島までは4時間かかる。

ここまで、撮影は晴天に恵まれてなんの支障もない。
今日も素晴らしい天気で日本では絶対に見ることのできない空を見た。
夕方の風は涼しく、昼間の温度は嘘みたいだ。

だが、しかし、だが、しかし、
ホテルに到着するなり気分は最低に。
スタッフの各部屋からは水が出ないとか
出ても水が茶色いとかの大クレーム大会。
昨日のホテルが最高だっただけにもう最悪。
この落差がつらい、つーか、痛い、つーか、かわいそうだ。俺が。

まあ、仕事だからと割り切るしかないけどさ
『そりゃないぜ!セニョリータ!』

▼今日の宿泊地
ロンボク島 タンジュアン 「クタ インダ ビーチ ホテル」
はぁ~憂鬱なホテルだよ

▼今日のインドネシア語
「スダスラサイ」 ”終わった(過去形)”

第316回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(9)
2003年11月14日

「青い海と俺様」

板谷さん最終日。
本日の撮影を持って板谷さんの出演シーンは終了する。
シークエンスも別れのシーンだ。

ロンボク島のタンジュアンビーチ。
ビーチから離れるベモから見える板谷さんの姿は
美しい景色と共に小さくなっていった。

あー、またむさくるしい野郎共たちでの
ロードムービーは続く。。。

と、まあ、そんな訳で午前中で撮影は終了。
我々は近くにあったリゾートホテルへGO!
半日太陽を浴びて、プールで泳ぐ、
そして、うまいアップルパイとロンボクコーヒーを。
うーん、仕事かどうかわからない。
まさに極楽?
明日も撮影なんて夢じゃないかしら?
いや、夢に決まってるさ。

え?
明日5:30出発?
まじで!
しかも、チェックアウト!
嘘!

誰だ!こんたひでー香盤書いた奴は!
俺か?
俺の馬鹿!

▼今日の宿泊地
ロンボク島 タンジュアン 「クタ インダ ビーチ ホテル」
水が、、、茶色、、、

▼今日のインドネシア語
「トゥング マタハリ」 ”太陽待ち”
出でよ マタハリ

第317回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(10)
2003年11月15日

「陸海空を行く」

移動日。
だがフライトが午後のため午前中にホテル近くの漁村へ。
バリ島やジャワ島の人々とは違った生活がここにあった。。。

ジャワ島からバリ島、そしてロンボク島
インドネシアが面白いのは無数にある島々がすべて色合いというか
生活というかがまるで違うところだ。
同じ国ではあるが、島が違えば国も違うんじゃないかというくらいに
違いがある。
ここロンボクはのどかだが、どこか悲壮感が漂う感じがした。

また、今日バリ島に戻ってきたのでことさらにそう感じたのかもしれない。

バリ島へは行きのフェリーとは違い空路を使った。
フェリーでの撮影がないから当たり前なのだが。
しかし、この空路というのが曲者で
俺は初めて乗ったのだがなんとも心もとないプロペラ機なのだ。
ロンボクからはものの40分程度でバリ島に行けるのだが
ガタガタと揺れるはなんとく隙間風が入ってくるは
アテンダントはやる気がないはでもう気分は最高。
まあ、あまりに初めてだったから少し感動もしたけど。
それにまた、だだっ広い滑走路にポツネンと小さなプロペラ機があるのがまたいい。
そんなプロペラ機に空港からトボトボと歩いて行くのだが
これがなんとも素敵だった。

瀬木監督は大の飛行機嫌いが高じて飛行機に詳しくなったそうで
このタイプは揺れるだとか乗ったらすぐに寝るとか色々薀蓄を言っている。
薀蓄もここまでくるとすごいと思ったのは
8月の『千年火』の撮影準備の時で羽田-福岡間の機長の名前まで覚えていて
○○という機長ならうまいから安心だとか○○は運転が荒いだとか言っていたことだ。
まあ、今回は関係無いけど。

しかし、行きの4時間のフェリーがなんなんだというくらいのスピードで
バリ島に到着した。
文明ってすばらしい。

でも、バリ島のデンパサールからメディウィビーチまでバスで3時間かかり
移動手段って本当に理不尽というか不可思議なものだとも感じた。

さて、明日はバリ島から一度ジャワ島に渡り
また、フェリーでバリへ戻るコースを撮影する。
つまり『行って来い』ってやつだね。
その『行って来い』のフェリーで気がついたのだが、、、
いや、気がついてしまったというべきか、
今日で撮影日程はまだ半分しかこなしてない。。。
まだ、折り返しなのである。

「え!まじで?まだ半分?またまたご冗談を!」

そんな冗談誰も言ってない。

▼今日の宿泊先
バリ島 メディウィビーチ 「メディウィビーチホテル」
ヌードルスープってやつを注文したら『インスタントラーメン』だった。

▼今日のインドネシア語
「ブルム ダタン」 ”まだ 来てない”
料理早く出せ!

第318回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(11)
2003年11月16日

「天気は俺の味方だぜ」

今回は最高についている。
『千年火』の時とは大違いだ。
なぜか?
天気が抜群にいいのだ。
毎日晴天続きか?
いやいや違うんだそれが、今日は大雨が降ったさ。

中止?

いや、撮影したよ。
だって、台本に雨と書いてあるんだもん。

そう、台本の通りに天候が変化しているのである。
こんなことってありえないよ。
午前中は雨のないシーンで雨が降らず
移動中に『ザー』と来た。
これから雨のシーンを撮影しようとしてる時に。

前日、監督と

「恐らくこのままの『ツキ』だと明日は雨降らないですよね」
「うーん。かもしれないね」
「雨のシーンどうします?」
「なんか別な手を考えるよ」
「ですよね」

なーんて会話は全くの無意味になってしまったのだ。

もう、まったくありえん話しで
俺の寝坊くらいありえん話しだよね。

ここ重要↓
さすが、俺。俺様パワー。

このままだと明日からは晴れまくりに違いない。

しかし、スタッフ一同に連日の無休による疲れが見える。
移動の多さと臨機応変な撮影状況のため常にONが要求されているから
仕方のないことだと思う。
特に技術部は機材を移動の度に降ろしたり積み込んだり
パッキングしたりと大忙しの毎日だ。
とはいえ、まだまだロードムームービーは続く。

ストーリーはいよいよ主人公の最終目的地の
フローレス島近海のスラヤクチル島へとすすでいく。
このまま一気に進むしかないぜ!

▼今日の宿泊地
バリ島 クタ 「ホテル オアシス」
俺の部屋は快適だったが、便器が故障していたりクーラーが不調だったりと
色々あったらしい。
部屋の目の前がプールで日のある時間だったらドボンしてたのになぁ。

▼今日のインドネシア語
「ルビ チュバット」 ”はやく”
「ルビ ブラン」   ”おそく”

「ブランブラン!」 ”おい!坊主の運転手!ちょっと飛ばしすぎじゃねーか?”

第319回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(12)
2003年11月17日

「トッケは友達」

移動日。
例に漏れず時間があるので撮影を敢行する。

今日はバリ島からフローレス島へ移動した。
バリからソンバワ島へ渡りフローレス島へ。
※ソンバワ島は日程的な都合でドラマの中では省略してる。

約2時間で着く南の楽園だがものすごく暑い。
ジャワやバリ、ロンボクとも比べ物にならないくらい暑い。
ジャワ島は雨季に入ったらしいが、ここフローレス島は位置がだいぶ東にあるため
まだまだ雨季には入っておらず真夏の装いだ。

ここへもプロペラ機で飛んできたのだが
もう、空からの景色が最高だった。
透き通るブルーの海とぎらつく太陽。
素敵な形の雲。
地球て美しいと心から思った(本当)

と、まあ、フローレス島はそれだけじゃない。
そんな観光案内みたいな文章は嫌よ。
俺が一番我慢ならないのはこの虫の多さだ。
”虫” ”虫” ”虫”もうそこらじゅうに”虫”だ。
虫つーか、ハエ?ハエがもうたくさんうじゃうじゃいるのよ。
これが辛いのなんのって辛く無い訳がないじゃん。
虫の大嫌いな俺にとってここは
地上の楽園でもなんでもなく
灼熱虫地獄という感じ?
ホテルだってさぁ~
綺麗とは言いがたいし
シャワーは水オンリーだし
部屋に入るなり足長蜂が襲ってくるし
”ゴ○○リ”は巨大だしぃぃぃぃぃぃぃ
もう、ホテルに入るなり
「帰りたい。。。」と素直に言ったよ。

それからまた、夜は夜で
”鳴きヤモリ”というこっちでは「トッケ」いう名のヤモリがうるさいのさ。
名前の通り「トッケ!トッケ!」と鳴くんだけどさ
どういうボリュームを想像してる?
鳥とか小動物くらいの声?

あーあーあーもう話しにならないよ。
天井におっさんが隠れていて
「トッケ!」って喋っているくらいだよ。
そんなボリュームだよ。
だから、夜、やっと寝付いたなぁなんて思ったら
いきなり「トッケ!トッケ!」だよ。
いくらなんでも起きるつーの。
また、これがさぁ、すげーでかいんだ。
バリにもトッケはいたんだけどさ
「チチチチチ」って小さい声な訳よ。
体も小さいんだけどね。

でもね、ここの「トッケ」は一味も二味も違うね。
声もでかければ、体もでかい。
しかも、夜になるとどっからともなく部屋に侵入する。
一匹や二匹じゃないよ、三、四匹は来る。
うるさいのうるさくないのったらないよ。
トッケは守り神らしくて誰も駆除や退治をしないらしく
もうわんさか繁殖してるのさ。
俺は爬虫類系は大丈夫なんだけどさ
照明部の平本さんは大嫌いで、
夜な夜な遠くから
「ぎゃーーーーーーーーー!」
って聞こえてくるわけよ。
もう悲惨極まりないよ。

でもね、ひとつトッケのいいとこがあるの。
それは俺の大嫌いな虫共を食うってとこ。
夜、電気を点けているとぶんぶんと電球にたかってくるんだけど
トッケがそれを食ってくれる訳さ。
これは大助かり。
偉いぞ トッケ。

ついでに、風呂の排水溝から出てきた
”ゴ○○リ”も食ってくれ!
頼む!
風呂はおろか便所にも行けやしないじゃないか!

都会暮らしに飽きたあなた!
田舎にあこがれるあなた!
海外に住みたいあなた!
虫が大好きなあなた!
寝つきのいいあなた!

いますぐフローレス島へ!

シティボーイの俺にはちょっと無理。

▼今日の宿泊地
フローレス島 ラブワンバンジョー 「ニュー バンジョー ビーチ ホテル」
虫とかトッケだけじゃなくて鶏とか牛とかやぎとか動物がいっぱいだよ!

▼今日のインドネシア語
「ジャラン」       ”歩く”
「ジャラン ジャラン」 ”散歩”

第320回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(13)
2003年11月18日

「楽しみはそれだけ?」

暑い。猛烈に暑い。
ただじっとしているだけでも暑いというのに
撮影をするとなると格段に熱い。

スタッフの移動用バスにはクーラーも付いてないし
クーラーボックスの水もなんとなくぬるい。
ここまでの撮影でかなり暑さには慣れたと思っていたが
間違いでした。
まだまだ暑いです、ここは。

さて、今日はラブワンバンジョーの繁華街に繰り出しての撮影だ。
繁華街といっても人影はまばらだ。
まあ、昼近くだったから暑くて皆外には出ないのだ。
この温度で外を出歩くなんて体を真っ赤にした欧米人か
真っ黒に日焼けしたわれわれくらいだ。

が、そうでもなかった。
カメラを出して準備をするや否やあっという間に黒山の人。
しかも、子供ばっかり。
「学校はどした?」と言っても通じやしない。
もう、あたり一面子供子供子供だ。
こんなに子供がいたんじゃ、その内この島は人で埋め尽くされてしまうんじゃないか?
大きなお世話ですか?

また、珍しいんだろうTVモニターに前に群がる群がる。
体のでかいVE徳さんと監督が見えなくなる位群がっている。
群がった子供の山の中から
「回った~!」
「アクション!」
なんて聞こえてくる始末さ。

もう、どうしてこんなに子供ばかりいるのかしら?
あ、そいうことね。
個人的に自分だけで納得。

さて、さて、そんな子供の山の撮影を終えて向かったのは
ここフローレスで真珠の養殖を営む「名取」さんという日本人のいる会社へ。
会社といっても浜辺に建てられた小屋だが。(名取さんすいません)
ここで、主人公が名取さんに援助されるというくだりを撮影。
インドネシアのTVCMに出ていただけあって、名取さんは名演技をみせてくれた。
天晴れ日本人。
もっと天晴れなのはここまでくるのに
ジェットコースターさながらの凸凹道を行かねばならず
浜と海だけじゃないのかこの島は!って天晴れな感じ。

明日はこの凸凹道で撮影があり
カメラが破損するんじゃないかなと少し思う。
破損したら帰国?

破損しろ!
いや、破損するな!

矛盾した気持ち渦巻くフローレスの夜は更ける。

▼今日の宿泊地
フローレス島 ラブワンバンジョー 「ニュー バンジョー ビーチ ホテル」
今、ベットの下にこおろぎがいます。
うるさいくて眠れません。。。

▼今日のインドネシア語
「ナシ ポテ サトゥ!」 ”ごはんひとつ!”
食い物がうまいのが救い。

321
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(14)
2003年11月19日

※注:この日記は毎日寝る前に書いた自筆の日記を
PCにて再構成したものです。
そのため、多少の尾ひれや背ひれの脚色が加わってます。

「灼熱のスラヤクチル」

ホテルから20分あまりの凸凹道を撮影しながら行き
名取さんの真珠養殖場へ。
そこからまた我々は小船に乗ること20分。

海はエメラルドグリーンと澄んだ青。
遠浅で透明度の高い海水は海底の魚やサンゴもそのまま映し出している。
太陽はギラつき、肌をジリジリと焼く。
でも、海風がとても気持ちがよかった。

そこは小さな漁村の島。
島には鶏やヤギが暮らし、子供たちはマンディー(水浴び)の最中だった。

まだ、雨季に入っていないフローレスといえども
雨季が近いせいで午前中しか晴れ間がない。
我々は6:00出発で晴天を狙う。
凸凹道の撮影やらなにやらで、スラヤクチルに着いたのは10:00頃だった。
もう、すでに暑い。
それも、ちょっとやそっとの暑さではない。
Tシャツの袖の跡が嫌だからと、裸でいたら10分で同じ色になったくらい。
想像はつかないかもしれないが、ライターの火を顔に近づけたくらいの暑さ。
そんくらい暑い。

そして、この灼熱のスラヤクチルでラストシークエンスを撮影する。
ここの村長は俺と同じ年の30歳で長老といえどまだ50くらいじゃないかな。
島全体が若い気がする。
子供たちはどこに行っても元気で笑顔が素晴らしく
我々と一緒にカメラについてくる。
でも、撮ってあげようとすると パッ といなくなってしまう。
何か時間がゆっくりと流れている感じだ。
ここの村民は朝に漁に出かけ、
昼間は木陰でごろごろしてるのだからそんな気がするのかなぁ。
断言できるが、今このスラヤクチルで一番動いているのは我々撮影スタッフだろうと思う。

船の到着した港からすぐ逆側の港が見える。

素晴らしい島だが、ご多分に漏れず難がある。
まあ、虫がいるのは当たり前で(怖いことに最近少し慣れてきた)
ここはヤギがたくさん放し飼いされているせいで
島中ヤギの糞だらけなのだ。
これが、なんというか島の匂いになっている。
海の潮の匂いとヤギの糞。

住めば都ともよく言うがその通りかもしれない。
気がついたら地べたに座って飯食ったもの。
名取さんの養殖場で作ったおにぎりを。
あー自分が怖い。

まあ、でも住まないからいいけど。

スラヤクチル島の全て撮影を今日で終わらせられる手はずだった。
でも、昼食を取ってから急に曇天に。

「ラストシーンは晴天以外ありえない」

わかってますよ。
明日にしましょう。
明日も6:00出発して一番良い空でいきましょう!

にわかに明日で撮影が終了と噂されているが
バリ島に帰ってから残分の撮影があるんですよ。
黙っておくか。。。

あー、東京は寒いのかしら?

とりあえず、東京帰ったら そば を食うことは決まった!

▼今日の宿泊地
フローレス島 ラブワンバンジョー 「ニュー バンジョー ビーチ ホテル」
蚊取り線香効かないよ!ここの虫!

▼今日のインドネシア語
「サンペイ ジュンパ!」 ”じゃーねー”

第322回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(15)
2003年11月20日

「ヤギとトッケとコケコッコー!」

フローレス島ロケ最終日。
いよいよ、この灼熱の島の撮影が終わりバリ島に戻れるかと思うと正直嬉しい。
心底嬉しい。

が、よく考えるとカレー事件さえなければ今日で終了かと思うと
あのチキンカレーがなければと口惜しくなる。

でも、過ぎたことは仕方ない。

さて、今日はいよいよラストシーン。
午前中の晴れ間を狙う。
トゥングマタハリなんかしなくても素晴らしい太陽が
スラヤクチルを照らす。
10:30には撮影終了。

えええええ!早っ!
じゃあ、今日帰ろうよ!
え?飛行機がない?
まじ?
あっても席がない?
あー
うー

じゃあ、ビーチに行きましょう!

スラヤクチル島に船で行く時から気になっていた島があった。
白い砂浜と遠浅のブルーの海。
そこにはどうやら船でしか行けないようだ。
でも、コテージとかあってなんかすごく極楽な匂い。

名取さんに小船を借りてそこへ向かうことになった。
もう、撮影はナシよだったから。
まあ、休暇?
んで、そこがまた、すげー綺麗なんだよ。
シュノーケリングとかしたんだけど、海が綺麗だからさ
魚とかうようよ泳いでいてさ、ダイビング気分だったよ。
んで、疲れたらコテージの横のレストランでコーラだ!
コーラ万歳!コーラ最高!コーラと共にあらんことを!
馬鹿だね。

でもね、一番の馬鹿は遊んでて足を切ったこと。
シュノーケリングしてて、浜に上がろうとフィンを脱いで歩いたてたら
「バクッ!」っと足の裏を切った。
多分貝殻か何かだと思うけど、結構バックリいった。
ひでー下痢はするは、遊んでいて足を切るはで最悪な俺。

「消毒しないと膿むよ」

とムゲに瀬木さんが言う。
なんか怖いから俺はバックリあいた傷口を
強引にまた開いて塩水で洗う。
それも、傷口になにも詰まってないか確認しながら
ごしごしと洗う。
痛いさ!
そりゃ痛いさ!
でも、これ以上撮影中に動けない助監督なんて
いる意味がないじゃない?
洗ったさ。強引に。

照明平本さんが、マキロンやらタイガーバームやらを持って
きていたので助かった。
また、傷口を開いてバームを塗りこんだ。

あー、すげー痛い。
歩くだけで激痛が。
あー、こんなことなら。。。いや、言うまい。

強くなれ俺。

▼今日の宿泊地
フローレス島 ラブワンバンジョー 「ニュー バンジョー ビーチ ホテル」
早く明日になーれ!

▼今日のインドネシア語
「マージュゥ」   ”前へ”
「ムンドゥール」 ”後ろへ”

第323回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(16)
2003年11月21日

「羽アリ襲来!」

わー!
アリだぁー!
ぶんぶん飛んでくるよー!
怖いよぉ助けてぇ~

コテージの前にあるドアランプに集まる羽アリの襲来に俺は脅えていた。

 * * *
今日は待ちに待った移動日。
フローレス島からバリ島へ移動する日なのだ。
この日をどれくらい待ち望んだだろうか。
あーうれしい。

フローレス島のワブワンバンジョー空港から飛行機で2時間。
途中ビマでトランジットしてバリ島のデンパサールへ到着した。
バリ島ロンボク島で大活躍をしてくれた
バリ人コーディネーターのカデさんが笑顔で出迎えてくれた。
思わず抱きつきたくなる衝動に駆られたのをぐっとこらえて握手した。

「ハセサーン!」
「オー、カデェ!」

感動の再会もこれくらいにしといて
夕方からまた撮影があるからすぐに移動だ。

本日でインドネシア人俳優のダムシットさんが終了する。
天気も何とか持ちそうなので大急ぎでクタ方面へ。
ここで2CUT撮影しダムシットさんは終了。

「全シーン全カット終了です!お疲れ様でしたー!」

は言ったけど通じてない。
インドネシア語はペラペラな瀬木監督も

「知らん」

英語がペラペラなプロデューサー鵜木さんも

「知らんったい」

だから、とりあえず日本語で叫ぶ。
通じてなくとも伝わるはずだ。
そういえば、こないだこんなことがあった。
何日か前だがダムシットさんが中空きで我々は別場所で撮影していた時だ。
スタッフが夕景の撮影で合流したら
ダムシットさんは連絡の手違いで昼食を取ってなかった。
時間はもう4時を回っていて、こりゃやべーってんで弁当を買いに走った。
が、時間は4時でこちらとしては太陽が落ちる前に撮影したい。

つまりこうだ。
ダムシットさんへの昼食を買いに走っている間にも太陽は沈んでしまう。
だから、飯前に1CUTだけでも撮影したい。
でも、昼食を遅らせた上にいきなり撮影させろなんて言えるか?
言葉が通じないから通訳にそれを託すが

「言えないです」

とあっさり断られた。
そりゃそうだろう。
通訳さんが先に文句を言われているのだし
どれくらい怒っているのかも通訳ならわかっているだろう。

俺は相当困った。
撮影の準備はできている。
あとはダムシットさんが来るだけでシュートできる。
むぅ。困った。
言葉は通じないし、通訳にも断られた。
かなり渋い顔をしていたのかもしれないが、
ダムシットさんが俺に声をかけてきた。
英語とインドネシア語が混じった言語で。
俺は英語はもちろんインドネシア語もわからない。

が。

ダムシットさんの身振りや手振りでわかった。
俺の勝手な要約はこうだ。

「おい、助監督。お前、困った顔をしているが太陽が沈みそうなんだろ?
 だったや撮影しようじゃないか。私は待てるが、太陽は待ってはくれないからね」

本当にこう言ったかは知らないけどそう言ってるように見えた。
やはりこの仕事のせいなのか、
何か伝わるものがあるのだろうか。
なんか、インドネシアの現場でも飯押しでワンカットやろうってあるんだなと
ふと思った。

長くなったが、そういうことだ。
全シーンの終了報告は伝わったはずだ。
ジャカルタから駆けつけたダムシットさんの美人秘書も喜んでいる。

それから、クタで実景を撮影した。。。。
爆弾テロのあった現場もまた行ってきた。
慰霊碑ができていて、様々な国の人が冥福を祈っていた。

『Fuck Telolisut!』

と書かれたTシャツが印象に残った。

 * * *
わー!
アリだー

その日の夜。
雨季は入ったばかりのバリ島ウブドでは
羽アリが大量発生していた。

俺は自分の部屋に入るだけで
充分なアドベンチャーを味わっていた。

わー!
くるなー!

▼今日の宿泊地
バリ島 ウブド 「ダルマサッティー バンガローズ」

▼今日のインドネシア語
「プルミッシー」 ”失礼します”エクスキューズミーと同意

第324回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(17)
2003年11月22日

「ありがとうインドネシア。またくるぜバリ島!」

インドネシアロケ最終日。
長かった。
本当に長かった。
2ヶ月九州に行っていた『千年火』よりも
長く感じた。
これは、移動が多かったせいと言葉がやはり違うということが
大きかったのではないだろうか。
仕事をする上ではやはり言葉は重要なツールである。

しかし、同時に楽しかったとも思う。
こんなに移動して色々な宿に泊まることなんて
普通じゃないし。
個人の旅行でもこんなに移動なんかしない。
そういう意味ではとっても楽しかったとも言える。

ここのところ朝が早い出発が多かったから
9時出発なのに5:30に起きてしまった。
もったいないから二度寝した。
んで、8:00に起きて久しぶりに
まじまじと鏡を見たらちょっと驚いた。

「こんなに日焼けしてる!」
「ヒゲがこんなにぼーぼーに!」
「あー!サングラスの跡が顔に!」

うーん。
もう、どうでもいいや。

 * * *
バリ島に東。パダンバイ近くでバイクの走りとフェリーの走りを撮影する。
このCUTで西島さんは全て終了。

「なんでもないカットで終了してしまいました」

とご本人も言っていたが、なんか劇的な終わりでなく
線香花火の最後みたくポテっと終わった。
バイクのQ出しで遠くに離れていたせいで
現場に帰るともう拍手とかも終わった後で

「全シーン、全カット。。。。」
「あ、もうそれ言ったから、拍手とかも」
「え、そうなんですか。。。」
「うん、じゃ、撤収!」
「はい。。。」

チェーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!

インドネシアロケの最終カットはフェリーの走り。
砂浜が真っ黒くてものすごい照り返しで暑い。
でも、パーってフェリーが来るからすぐに終わ。。。。。。らない。

来ない。
フェリーがまったく。
来ても迂回して戻っていく。

なんなんだいったい。。。

インドネシアだから」
の一言で片付けられてしまう。
いつ来るかわからないフェリーを1時間待った。
グダグダに汗をかいたところで全てのインドネシアシーンを
撮り終えた。

んで、あそこに昼飯を食いにいく。
すげーうまいけど辛い。
んで、ハエな定食屋。
うーん、相変わらずうまい!

でも、ハエ。

▼今日の宿泊地
バリ島 ウブド 「ダルマサッティー バンガローズ」
もう、羽アリはいない。

▼今日のインドネシア語
「エナ!」  ”おいしい!”

第325回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(18)
2003年11月23日

「待ってろよ、東京!」

インドネシア最終日。
本当はロケの予備日だったが
使わずにすんだ。

飛行機に乗る時間まで久しぶりのフリータイム。

俺は、真っ先にクタへ向かう。
やっぱり都会はいい!

自分用に帽子を買って。。。
後は帰るだけだ!

▼今日の宿泊地
JAL機内泊

▼今日のインドネシア語
「カナン!キリ!」 ”右!左!”

第326回
「LOVE ASIA」
インドネシア撮影日記(番外編)
2003年11月24日

「極寒の地、東京」

帰ってきた!
やっと東京である。
この日をどれくらい待ちわびたことだろうか

が、猛烈に寒い。
なんなんだ、この寒さは。
ひと際日に焼けた集団は東京の寒さに震えていた。

本当ならすぐにでも自宅に帰って
熱い番茶でもすすりたいところだが
何を隠そうこれから東京で撮影があるのだ。

誰がこんなスケジュール考えたんだ!

あ!
思い当たるふしがある。
だいぶ前の打ち合わせでのこと
台本に東京のシーンがあるなら
東京で撮影した方がいいんじゃないすか?
ちょうど成田にくることだし
帰り際にワンカット、ツーカットくらいなら撮影できるんじゃないすか?
なんて、言ったような気がする。。。。
あー言うんじゃなかった俺の馬鹿。

こんなに恐ろしく東京が寒いとは思わなんだ。

うう。。。

銀座、新橋と祝日で閑散としていたが
ディスイズ東京な感じで撮影する。

そして、最後は昼食にそばを。。。

う、まずい。
久しぶりの東京で食ったそばはまずかった。
店選び大失敗。

後悔の念が渦巻く

▼今日の宿泊地
もちろん東京の自宅さ

▼今日のインドネシア語
ないね!言葉が通じるって楽しい!

TNC公式HP(現在もちゃんとあります)には
写真付きのもっと楽しい内容に
書き直した日記が掲載されています。
そちらも合わせて読んでね。